宮ノ前
商店街の歴史
伊丹郷町の氏神である猪名野神社の参道に沿ってあった宮ノ前商店街は、大正期以降急速に発展しました。 下駄・荒物(家庭用品)・本・薬・たばこ・はかり・雑貨などの日用品、魚・肉・米・かつおぶし・菓子などの食料品、呉服・洋服などの衣料品、琴・自転車・時計・ランプ・ミシンなどの高価なものまで、商品の種類は豊富で何でもそろったそうです。 そのためか他の商店街と比べてもひときわ賑わいをみせており、伊丹町だけでなく周辺の村からも買い物客が集まり、特に12月1日から3日までの大売出し「誓文払い」の日には、宝塚や三田からも買い物客が集まり、身動きできないほどの人出だったそうです。 この頃の商店は借家が多かったため、引越しや商売変えがあり、商店街の店並みが変わることもよくあったといいます。
- 宮前商店街の入口
伊丹市立博物館蔵提供 - 昆陽口通りと宮前商店街の交差点
(昭和15年)伊丹市立博物館蔵提供 - 宮ノ前布団太鼓(昭和52~53年)
伊丹市立博物館蔵提供 - 伊丹町代表的商店廻り双六(昭和13年)
伊丹市立博物館蔵提供
伊丹郷町とは?
江戸時代、宮ノ前のあたりは「北少路村」「昆陽口村」と呼ばれる村でした。この両村は、主に酒造業によって栄えた「伊丹郷町」を構成していました。
伊丹郷町とは、伊丹町・大広寺村・北少路村・昆陽口村・北中少路村・南中少路村・円正寺村・外城村・高畑村・新野田村・古野田村・植松村・下市場村・上外崎村・外崎村の15町村が連なってできた在郷町(商工業集落)です。
江戸時代、郷町の大部分は公家である近衞家の領地で、近衞家の指示のもと、有力な酒造家たちが町を治めていました。
猪名野神社とは?
宮ノ前商店街の北側に位置している猪名野神社は、伊丹郷町の氏神です。
江戸時代は、「猪名野」にある「宮」ということから、「野宮」と呼ばれていました。野宮は、このあたりの領主であった公家・近衞家や、郷町を経済的に支えていた酒造家たちの信仰を集め発展しました。
本殿は近衞基熈の命によって、1685年に建てられました。また、神社の境内には、酒造家たちの寄進した燈籠等が数多く並んでいます。
1873年に野宮から「猪名野神社」と改名し、いまに至ります。